サイズ 40cm x 30cm
紙:MBM
書体:ゴチック書体バリエーション
カラム、オートマチックペン 水性インク 日本画顔彩 ガッシュAh qui donc pourrais-je prendre pour mon confident
Quand le pin lui-même de Takasago pour moi n'est un ami d'autrefois原文 誰をかもしる人にせん高砂の松も昔の友ならで 「高砂」より
久々の「今月の一枚」です。
能の花シリーズ「高砂」より。
「誰をかもしる人にせん高砂の松も昔の友ならなくに」という百人一首にもおさめられている有名な藤原興風(ふじわらおきかぜ)の歌が能の「高砂」の謡の一説に出てきます。これはその「高砂」の一節のフランス語訳を作品にしたものです。
「高砂」というと皆さん、結婚式の披露宴などでよく耳にする「高砂やこの浦舟に帆をあげて...」というのをご存知かもしれません。この物語は、ある神主一行が播磨の国の高砂の浦に、噂に聞く「高砂の松」を見に行くところから始まります。そこで松の根方を掃き清める年老いた夫婦に出合い、高砂・住之江(住吉)の相生(あいおい)の松の謂れを聞きます。話を聞きながら、この老夫婦はただものじゃないな?と感じていた神主。やがて、その老夫婦が、実は相生の松の精だと素性を明かし、住吉で待つと言い残して立ち去ります。そりゃ、さっそく後を追っかけにゃならぬ。それが「高砂やこの浦舟に帆をあげて。。。」となって、住吉に到着。その住吉で神主一行は住吉明神が千秋万歳を寿ぎつつ舞う姿に出会う、というお目出度いストーリーです。
さて、この作品にした歌は老夫婦が自分たちが随分長生きしてしまった様を語る際に出てくるのですが、「生きながらえて、知り合いは誰もいなくなってしまった、この高砂の松が古い友であったらよいのに。(年とるというのはなんと寂しいことか)」という意味あいです。
歌としてはちょっと寂しい内容ですが、せっかく高砂の松ですから、千年も色変わらぬとされる常緑の青々しさと目出度さに合わせて、明るい緑と金色を少し混ぜてみました。書体はゴチックを基本にしたバリエーションで、カラム(竹や葦を削ったペン)やオートマチックペンというカリグラフィー用のペンで重ね合わせて書いています。
人間、齢は重ねても、心のうちは常緑でありたいという思いを込めた一作。