ちょっと前に芍薬の花の話を書きましたが、あの時は小野小町にご登場願いましたが、本日はこれまた美女のサラ・ベルナールのお出まし〜〜〜。
いつか朝市で見かけた時、ちょっと値が張っていたので買うのを控えていた女優サラ・ベルナールの名前がつけられている芍薬。この間の日曜日についに買いました。今年は例年よりも芍薬の期間が長いような気がします。
で、写真がそのベル・エポックを飾る一斉を風靡した女優さんの名前を持った花。
サラ・ベルナールSARAH BERNHARDTといっても、知らない人も多いかな? 彼女の生涯は芝居になって日本でも上演されてます。 1844年生まれで、出生と幼少時の境遇は厳しいものでしたが、フランスの国立演劇の殿堂である「コメディー・フランセーズ」の女優さんとして一斉を風靡するまでに。当時はベル・エポック華やかなりし頃、ムーラン・ルージュやマキシムが開店したのもこの頃。
サラは、当時もてはやされた豊満な美人像と違い、小柄でやせっぽち、赤毛の縮れっ毛に大きな鷲鼻。なんで、そんな人が大女優??それは、彼女の斬新な演技と天性の美声にあったとか。セリフ回しがそれまで歌うようであったのが、サラは普段の言葉遣いでしゃべり、黄金の声と呼ばれたらしい。また、今でいうファッション・リーダーでもあり、細い腕をごまかすためにしていたひじまでの長い手袋は大流行になったとか。細い腕を隠すゥ。。。うらやましい〜〜〜。(笑) 36歳の時に、自分の好きな芝居を存分にやりたいということで、コメディー・フランセーズを退団して独自の「サラ・ベルナール座」を設立します。フランスだけでなく、広くヨーロッパ、アメリカにまで名声をとどろかせ、当時の文人や芸術家達との交流も多く、色恋沙汰は豊富だったようです。みんな彼女のために宝石だの装飾品だのデザインしたり、肖像画を画いたり、ミューシャはサラに頼まれて芝居のポスターを画き(写真参照)、それがきっかけで一躍有名になったし、アール・ヌーボーの発展の一端となったといっても過言ではありません。 どうやら色恋は男性だけでなく女性の恋人もいたらしい。そして、60歳を過ぎてもまるで20代のように若々しかったとか。うらやましい限りですなぁ〜〜。笑
ちょっと変ったことに、サラはいつも棺桶に薔薇を配して寝ていたんですゥ。写真小さいけど載せました。遺体じゃないです、こうやって毎日寝てたらしい。
晩年は事故が元で片足を切断しましたが、義足をつけて76歳ごろまで精力的に演劇活動を続け、1923年に78歳の生涯を閉じました。ひとつの時代の終わりとして、パリ中が見送ったとされます。
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写真の花の向こう側、父が1957年にフランスとイタリアの能公演に参加した際に使用していた旅行カバンです。文化使節団ということで、日の丸のシールが貼ってありました。プロペラ機で南回りだったってェ。うへ〜〜。(笑) そして、その時のパリ公演を行った劇場が、実は前述の「サラ・ベルナール座」だったのですゥ。パリの中心、ルーヴルとマレー地区間のシャトレ広場にあります。だから、庵主はものすごく小さい時から、サラ・ベルナールの話は聞かされておりました。昔は当然、日本でも知られてたんじゃないかな?
15年ぐらい前には庵主もこのカバン持ってあちこち旅行しました。中はシルク張り、さすがにトメ具や皮の部分が傷んできて、現在はカバン業は引退(笑)、カリグラフィー用の紙類収納BOXとなってます。
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